2024年12月15日 「キリストがあがめられるため」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「キリストがあがめられるため」    (15/12/2024) [ピリピ人への手紙1章20~26節] ◆パウロの葛藤 (20,23~24節)  ・牢獄の中で生死が危うい中でもパウロには喜びがあったが、同時に「キリストにあって」1つの葛藤もあった。  ①死んで、さっさと天国に行き、キリストと永遠に過ごしたい(パウロ自身の心の願い)  ②自分を通してキリストを知り、信仰を前進させる人々のために生き残りたい(他の人を思いやるが故の願い)  ・正直なところ、キリストを信じてからの方が、この世においては試練が多い。つまずきだって起こる。「いっそクリスチャンになってすぐに天に召されてしまえば良いのに…」と思えなくもないが、それでは宣教のわざが進まない。 ◆パウロの確信 (25節)  ・パウロは何故、確信をもって「私は生きながらえると知っている」と言えたのか?それは、「自分の人生はもはや自分のものではなく、キリストのものだ」との献身の故。パウロは次のように言っている。[Ⅱコリント5:15]  ・パウロは「人生を通して『キリスト』が現されること」が全てのキリスト者にとっての最大の特権であり祝福であると確信していた。そしてそのような体験は「地上にいる時にしか味わえない」ということも。[ピリピ3:10-12] 私たちは 『ゲッセマネの祈り』は「キリストにしかできない祈り」と考えがちだが、実は私たちに求められている祈りでもある! 今日の要点 「ゲッセマネの祈り」 ⇒ 「キリストを愛する者の祈り」 ◎更に深い学びのために  ①投獄中の「パウロの心の葛藤」はどのようなものでしたか? 何故このような葛藤が起こったのでしょう?  ②この葛藤の中で彼に与えられた確信は何でしたか? パウロは何故そのように言い得たのだと思いますか?  ③『ゲッセマネの祈り』を「自分の祈り」として祈れないのは、何故でしょう? どうすれば祈れるようになりますか? Outline of the sermon     “‘Christ’ is to be honored.”     (15/12/2024) [Philippians 1:20~26] ◆A conflict in Paul’s desire. (Verses 20,23~24)  ①To depart and be with Christ(Paul’s Read more…