2024年6月30日 「イエスに遣わされる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「イエスに遣わされる」   (30/06/2024) [ヨハネの福音書 20章21~23節] ◆イエスが私たちを遣わしておられる3つの理由  ・イエスは「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わす」とおっしゃった。では御父は、イエスを何のために地上に遣わされたのか?次の3つの理由が考えられる。  ①神がどのような方なのかを知らせるため  ②人が本来どのように生きるべきかを示すため  ③神と人との関係を回復させるため   それ故、イエスが現在私たちをこの地上に遣わしておられるのは、下記の理由だと言える。  ①御子イエスがどのような方かを知らせるため  ②人が本来どのように生きる者として造られたかを示すため ③主イエスと共に「十字架につけられること」によって、人々を神との和解へと導くため ◆聖霊によってイエスのわざを行う  ・上記の3つはどれも『人間わざ』ではない。しかも驚くべきことにイエスは私たちに「地上において罪を赦す権威」さえもお与えになった。「そんな無茶な!」と思うかもしれないが、実際「人を救いに導くこと」を含め、『神のみわざ』を行うことは、どれ1つ取っても「人間わざではない」のである。それ故神は、これらのことを私たちの人生を通して成就するために、信じる者1人1人に『聖霊』をお与えになった。  ・イエスは地上で御父のみわざを行う時に「わたしは自分では何1つできない。これらは父がわたしを通してなさっておられるのだ」とおっしゃった。私たちも自分自身を主イエスに明け渡す時、聖霊が私たちを通して働かれる。 ◎更に深い学びのために  ①「主イエスが現在私たちを地上に遣わしておられる3つの理由」は何ですか?  ②私たちはどのようにして、これら『3つの理由』を達成して行くことができるのでしょう?  ③[ルカの福音書9章23~24節]を読みながら、『明け渡し』ということについてじっくりと思い巡らしてみましょう。 Outline of the sermon  “Sent by Jesus”  (30/06/2024) [John 20:21~23] ◆3 reasons why Jesus is sending us.  ・Jesus is sending us just as he was sent by the Father.  Here Read more…

(578) “人はうわべを見るが、主は心を見る。”

 現代ほど「目から入って来る情報」が多い時代はかつてなかったでしょう。今から100年ほど前にテレビが発明されるまでは、ニュースやコマーシャルはすべてラジオから放送され(『活動写真』なるものはありましたが…)、電話がある家庭でさえ少なかった時代でした。それが現代ではインターネットの発達により「ラジオを聴く」という習慣はめっきり減り、携帯電話でさえ、実際に音声として会話するよりも『ライン』などで文字を見ながら会話することが多いように思います。「人のことばに耳を傾ける」ということも減ってきてしまっているのではないでしょうか?  このように「目に見えるもの」によって私たちの生活が支配されてしまうと、私たちにとってとても重要な「人の心を察する」とか、「心を込めて物事を行う」などの、目には見えない『私たちの心』というものを見失ってしまう傾向へと陥ってしまう恐れがあるように思います。加えて現代の『スピード社会』は、私たちが「ゆっくり座って落ち着いて考えを思い巡らす」ということを奪い、「浅はかな考えに基づいて表面だけを取り繕う生き方」へと人間をおとしめて行っているのではないでしょうか?  神は私たちの『肉体』だけではなく、『心』をも造ってくださいました。そして神は私たちの「外側の行為」以上に「内面的な心の動き」に関心を持っておられます。マザー・テレサは、「大きなことを成し遂げるのはそれほど重要ではありません。小さなことを大きな心をもって行う方が重要なのです」とおっしゃいました。『うわべ』ではなく、もっともっと「内側の見えない世界」に注意を払いながら生きるようにしたいものですね。

2024年6月23日 「ゆっくり生きよう!」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「ゆっくり生きよう!」   (23/06/2024) [マタイの福音書 25章37~40節] ◆「本当に大切なもの」とは?  ・現代は「効率性重視・情報過多」の時代。「より多くのことをいち早く知り、より良いものを、より早く、より安く手に入れること」が重要。しかし、本当にこれらのことが『重要』なのか?聖書はどう言っているのか?[伝道者12:13,Ⅰコリント13:13]  ・先週『神のみこころ』ということについて学んだが、神はご自身のみこころを、どのような態度で待っている人に分かち合いたいと思うだろうか?[詩篇37:7] ◆時間の正しい使い方  ・「愛すること」には時間がかかるし、ムダも多い。例えば『子育て』に関して言えば、お金や物を与えておく方が「早くて楽で簡単」だが、肝心の『愛』を伝えるためには「共にじっくり時間を過ごすこと」が要求される。  ・ある人たちは、「自分は『神様のため』にいろいろと活動して時間を使っている」と言う。しかし神は、あなたが考えているほどに「何かをして欲しい」とは思っていない。初めに読んだマタイの福音書に登場する「王に語りかけられた人々」には、「周囲の人たちの必要に気を配るための『時間と心の余裕』」があったのだ。  ・賜物や才能は人によって差があるかもしれないが、神は『時間』だけは全ての人に等しく与えておられる。この『時間』を「主にあって正しく使っているかどうか」に、神は大きな関心を払っておられるのではないだろうか? ◎更に深い学びのために  ①「世の人々が重要視していること」と、「聖書が重要だと教えていること」とは、どのように違うでしょう?  ②「神のみこころを行うこと」と、『時間の使い方』とには、どのような関わりがあると思いますか?  ③自分に与えられている『時間』を、「主にあって正しく使う」ために、どのような点を変えて行くべきですか? Outline of the sermon  “Slow down!”  (23/06/2024) [Matthew 25:37~40] ◆What is really important?  ・Now we live in “efficiency-seeking, information-oriented” society.  It requires, “to know as quick as, as good   as, as much as and Read more…

(577) “正しい人は7度倒れても、また起き上がる。”

 以前、「子供たちは親の言う事は行わないが、やる事は真似をする」という話をしました。ここで気を付けなければならないのは、「子供が見ているのだから、失敗してはいけない!」と肩に力を入れ過ぎないことです。失敗しない人間などはいません。むしろ「失敗しても大丈夫」という寛容な心を育てることの方が大切かもしれません。  子供たちに見倣って欲しいのは「私たちの行いそのもの」というよりも、むしろ「生きる姿勢(態度)」です。すなわち、「失敗しない事」ではなく、「失敗してもくじけない態度」こそ、私たちが示すべき模範なのです。  日本語にも「七転び八起き」ということわざがありますが、大切なのは「倒れない事」ではなく、「何度倒れても起き上がる事」です。倒れる回数よりも起き上がる回数が1度だけ多ければ、その人は『人生の勝利者』と呼べるでしょう。実際「転ぶ経験」は私たちをより強く、賢くするのです。  同時にぜひ心掛けたいことは「失敗をくよくよしない、むしろ笑い飛ばすくらいの余裕」です。子供というのは元来陽気で楽観的です。それが徐々に引っ込み思案になったり臆病になってしまうのは、もしかすると何かを失敗してしまった時に周囲の大人からひどく叱られてしまった経験を重ねたからではないでしょうか?よくよく考えてみるなら、ほとんどの『失敗』は、いのちの危険でも冒さない限り、あまり大した問題ではないものです。  家の中をキチンとしておきたい、子供たちの身なりを整えておきたい、というのが母親たちの共通の願いだとは思います。けれども、それよりももっと偉大なことは「失敗を恐れず大胆に新たな事に挑戦し、自身のフルサイズの人生を歩もうとする勇敢な人間」を育てることではないでしょうか?

2024年6月16日 「『神のみこころ』に生きる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「『神のみこころ』に生きる」     (16/06/2024) [へブル人への手紙 13章20~25節](20~21節が中心) *『神のみこころ』には2つの側面(①「私たちに対して」成し遂げたい『みこころ』 ②「私たちを通して」成し遂げたい『みこころ』)がある。 ◆個人のための「神のみこころ」  ・神は地上でご自身の『みこころ』を成就なさるために、私たち人間をお用いになる。そのため神は私たち1人1人を「あらゆる良いものをもって」整えてくださる。[Ⅱテモテ3:16-17] これがいわば「私たちに対する神のみこころ」。  ・私たちが「神こそ自分の最高の活かし方を知っておられるお方」と信じて人生を委ねる時、神はご自身のみことばと霊とによって私たち1人1人をユニークな方法で導いて、それぞれを「自己最高の(キリストに似た)姿」へと造り変え、ご自分の目的を成し遂げようとされる。[ピリピ2:13] ◆共同体に対する「神のみこころ」  ・私たちが神の前に『個人』として整えられたなら、それは神が私たちを『共同体(キリストのからだ)』として、更に大いなることのために用いようとしておられる時である。  ・神が私たち1人1人をユニークにお造りになったのは「お互いを必要とし合う」ため。神は1人1人にユニークなご計画を持っておられると共に、私たちが互いに補い合って働かなければなし得ないご計画を持っておられる。  ・神がJCFのために用意しておられるご計画を知るためには、まず私たちがキリストにとどまり、それぞれが御霊に導かれて歩む必要がある。その偉大なご計画の成就を見るために、今週も心を1つにして神を求めて歩もう! ◎更に深い学びのために  ①私たちのための『神のみこころ』には、どんな2つの側面がありますか? その2つはどのように違いますか?  ②神は「どのような人」を、ご自身のご計画のために用いることができますか? また、それはどうしてでしょう?  ③「JCFのための『神のみこころ』」を知り、その成就を体験するために、私たちに「今できること」は、何でしょう? Outline of the sermon     ‘To live in “God’s Will”.’     (16/06/2024) [Hebrews 13:20~25] *There are 2 aspects for “God’s Will”.  ①God’s will for “each one of us”. ②God’s will for “us Read more…

(576) “私たちは…、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。”

 パレスチナ地方のあいさつの言葉に『シャローム』というものがあります。朝でも昼でも夜でも使えて、出会った時でも分かれる時にも交わすことのできる便利なあいさつで、直訳の意味は『平和・平安』、そして「あなたに神の平安がありますように」という祝福の意味が込められています。  実はこの『シャローム』には、もう1つの意味があります。それは「人と人との関係に関すること」で、互いにこの『シャローム』を交わすことで、「あなたと私との間に『平和』がありますか?」と問いかけているのです。すなわち、互いの間で「わだかまり」はないか、「負い目があったり、恨みを抱いたりはしていないか」と、自分自身の心を探る意味合いもあるのです。そして万が一何らかのわだかまりや、神の前に公明正大でない思いを見出したなら、すぐにその場で和解をすることが期待されているのです。  この「関係における『平和』」の概念は、『神』と「私たち人間」の関係における平和を象徴しています。私たちは始祖アダム以来、己の『罪』のゆえに神との関係が壊れていましたが、神がその壊れた関係を修復するために『自らのひとり子イエス・キリスト』を「身代わりのいけにえ」としてささげてくださったために、今や私たちは何の「わだかまり」もなく、大胆に神の許に進み出ることができるのです。万が一我々の側で「自分は神にふさわしくない生き方をしている」と思い当たることがあるなら、この『豊かに赦してくださる神』に信頼し、その自分の負い目を告白して悔い改め、再度神の前に出て行くことができます。  神がイエス・キリストによって成し遂げてくださった、この『大いなる和解のみわざ』を覚えつつ、日々『シャローム』を交わしながら、人々との『平和』を保って生きて行きましょう。

2024年6月9日 「『指導者』を覚える」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『指導者』を覚える」   (09/06/2024) [へブル人への手紙 13章17~19節] ◆指導者に従う(17節)  ・この『指導者』というのは、「霊的なリーダー」のこと。牧師、役員、他のミニストリー・リーダー、グループ・リーダーたち。これらの人々が「主の牧場に住む羊の群れ」のために喜びと生きがいをもって仕えているなら、そのキリストにある群れは『健康』であると言える。そして「生ける神の共同体」である『教会』は、健康ならば必ず成長する。  ・『指導者(特に「牧師」)』にとっての「喜び」とは何であろうか?それは、群れに属する1人1人が「キリストにあって『自己最高』を生きること」。また、そのために互いが助け合い支え合うこと。私たちは「互いに結び合わされ、キリストの身丈にまで成長するため」に召し出された。 ◆指導者のために祈る(18節)  ・指導者たちが必要としている祈りとは、「いつも神との親密な関係を保ち、神の望むところに従って群れ(1人1人)を導くことができるように。(正しい『模範』によって)  ・悪魔が教会を攻撃するための最も効果的な標的は、いつも「リーダーたち」。だからこそ、リーダーたちは特に「祈りによる防壁」を必要としている。  ・リーダーたちは常に次のことを意識しておくべきである。「Before God for people, before people for God」。   リーダーたちがいつもこの心構えを保っていられるように、日々祈りに覚えてください! ◎更に深い学びのために  ①あなたの周りにはどのような『霊的指導者たち』がいますか? 具体的に名前を挙げてみましょう。  ②それらの人々を心から尊敬できますか? もしできないとすれば、何が問題なのだと思いますか?  ③それらの指導者たちが、更に優れた指導を喜んで継続していくために、どのように祈ることができるでしょう? Outline of the sermon   “Remember your ‘Leaders’.”   (09/06/2024) [Hebrews 13:17~19] ◆Obey your leaders.(Verse17)  ・In this context, “leaders” means those who are taking leadership for our Read more…

(575) “天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。”

 神を信じている者であろうとなかろうと、自分に都合が悪いことが起こったり、理性や知性では理解できないような不条理に出くわしたりすると、私たちはつい、「神様、どうして?!」と叫んでしまうことがあります。あたかも「今自分がこんな目に合っているのは、神様のせいだ!」とでも言いたいかのように。  では、実際はどうなのでしょう?神様はそんな意地悪な方なのでしょうか?または、私たち自身が、そんな災難を身に招くような悪行をした報いなのでしょうか?そんなことは決してありません!私たちがそんな風に考えてしまうのは、『神』という方を全然理解していないからです。  神は、私たちに対するご自身の深い愛を、『ひとり子イエス・キリストの十字架における身代わりの死』という形で、誰にでも分かるようにはっきりと表現してくださいました。もはや神が私たちに「バチを当てる」とか、「意地悪をする」などと考える余地はないのです。神は私たちへの深い愛のゆえに、私たちに対して「最善以下のことはおできにならない方」なのです。  では、「思いもよらない災いやアクシデント」に見舞われた時、私たちはどう考えれば良いのでしょう?少なくとも、そのような出来事が私たちの人生に起こることを「神が許された」ということは事実です。だとすれば、私たちは神に次のように問うことができます。「神様、あなたはこのことを通して何をなさろうとしておられるのですか?」 または、「神様、この出来事によって、あなたは私に何を教えようとしておられるのですか?」と。人生に起こる『困難』は、私たちを神から引き離す要素なのではなく、かえって神に引き寄せられる機会として用いられるべきなのです。

2024年6月2日 「『寄留者』として」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「『寄留者』として」    (02/06/2024) [へブル人への手紙 13章10~16節] ◆地上での時は短い(13~14節)  ・当時、ローマ帝国の支配下にあってもユダヤ教は保護されており、旧約聖書の時代と同じように神殿において『動物のいけにえ』が献げられていた。クリスチャンになったユダヤ人たちもそれを強制されていたが、「主イエスが既に『全ての罪のためのいけにえ』となってくださった」という信仰に立って、彼らはその要求を拒んだ。  ・ユダヤ人たちにとって『宿営』というのは、出エジプト時代のいわゆる『コンフォート・ゾーン』を意味した。現代の私たちにとって言うなら、「この世と調子を合わせた暮らし」、もしくは「教会の中だけで『クリスチャンらしく』すること」。それ故「宿営の外へ出る」とは、地上での短い期間を取り繕う生き方ではなく、『永遠の天の都』を見上げつつ、たとえ苦難に直面することになろうとも、『贖われた者』として大胆に生きること。 ◆動物よりも優れたいけにえ(15~16節)  ・私たちには『動物のいけにえ』ではない、別の『いけにえ』がある。それは、①賛美のいけにえ また ②善行のいけにえ。『いけにえ』は『犠牲』なのだから、決して「喜ばしいもの」ではない。周囲に理解されない時もあり、内面的戦いを強いられることもある。そんな中で賛美をし、人々に施すという『信仰の姿勢』を、神は喜ばれる。  ・私たちは、地上では『寄留者』。『寄留者』は旅先でお金を貯めたり、名声を求めたりはしない。この週も、やがて辿り着く『故郷』を想いながら、行く先々で「自分ができる最善」に全力を尽くしつつ進んで行こう! ◎更に深い学びのために  ①この手紙が書かれた時代のクリスチャンたちが直面していた「戦い」は、どのようなものでしたか?  ②手紙の著者が勧めている『いけにえ』はどのようなものですか? 自分の日常生活にあてはめてみましょう。  ③あなたにとって、「宿営の外へ出る」ということは、どのような行動を起こすことだと思いますか? Outline of the sermon   “Live as ‘Pilgrims’.”   (02/06/2024) [Hebrews 13:10~16] ◆Our time is short on the earth.(Verses 13~14)  ・Under colonization of Rome, Jews were still doing “animal sacrifice” at their temple.  Yet Jewish Read more…