(565) “キリストも1度、罪のために苦しみを受けられました。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。”

 ニュージーランドでは今週末は『イースター(復活祭)・ウィークエンド』なので、イースターのお話をしますね。  日本ではあまり耳慣れないと思いますが、イースター直前の金曜日は『グッド・フライデー』と呼ばれます。この日はイエス・キリストが十字架刑に処せられた事を記念する日です。それなのに、何故『Good Friday』と呼ばれるのか、それを説明するには、イエス・キリストの生涯に関して少し説明しなければなりません。  イエス・キリストは地上での人生において主に3つのことをなさいました。1番目は「神とはどういう方なのか」を示された、ということです。ご存知の通り、「天地創造の神」は私たちの肉眼で見ることはできません。人類はこの超越的な存在(それをどう呼ぶかはさておき)を様々な形に表現しようと試みますが、この『神』は「人格(神格?)」を持っておられるので、単に『像』を造ることによってはその性質を表現することはできません。イエス・キリストはそれを「ご自身の人格」を通して人々に分かり易く表現してくださったのです。  2番目にイエスがなさったことは、「人は本来どのように崇高な存在か」を示された、ということです。神から離れてしまった人間は、本来の『神の作品』としての特徴が損なわれ、互いに憎み合ったり殺し合ったりしてしまっています。しかしイエスは「人は本来、互いに愛し合い、神の力と聖さと愛を表現すべき存在なのだ」ということを、ご自分の生き様を通して私たちに見せてくださったのです。  そして最後に、イエス・キリストは「私たちと神との『架け橋』となる」ために、十字架の上にその身を捧げてくださいました。このイエス・キリストの十字架での死を「自分と神との関係を回復するための代償」として受け入れる者に、神は新しいいのち(聖書では『永遠のいのち』と呼んでいる)を与えてくださるのです。このいのちに生かされることによって、今度は私たちを通して「キリストのような人生」が再現されて行くのです。  このような驚くべきみわざをなされた「イエス・キリストの生涯の偉大さ」を讃える意味を込めて、私たちは『グッド・フライデー』を祝うのです。