聖書
(532) “怒りを遅くする者には豊かな英知がある。”
「ならぬ堪忍するが堪忍」と言いますが、単に「我慢する」というのはストレスに感じられるものです。しかし実際に『忍耐』というものはそこまで踏ん張らなければならないものではなく、むしろ「物の見方を変える」ことによって育むことができ、しかもその代償によって得られるものは、想像以上に豊かなものです。 私たちが「我慢を強いられている」と感じる時は、私たちの視野がとても狭く(自己中心的に)なってしまっていることがほとんどです。すなわち「自分の必要」「自分の目標」「自分の予定」「自分の願い」などなど、これらのものが脅かされる時、私たちは「どうして自分ばっかりこんなに我慢しなきゃならないんだ!」と、ある意味『錯覚』してしまうのです。 試しに「他の人の立場に立って物事を見直して」みたらどうでしょう?例えば「豊かな結婚生活」を望んでいるなら、配偶者の目線で物事を見てみるのです。また「良い親になりたい」と思うなら子供たちの立場に立って、ビジネスで成功したいなら顧客の立場で、良い上司になりたいなら部下の立場に自分自身を置いて考えてみるのです。きっと多くの新たな発見があるはずです。 現代のように『インスタント時代』に生きている私たちは、少しでも待たされるとすぐにイライラし始めます。このような状況では、私たちの人生を真に豊かにする『忍耐』は自然発生的には養われません。しかし私たちの神様は「忍耐の神」です。このお方に「忍耐を与えてください!」と祈りつつ、新しい物の見方にチャレンジしてみましょう。きっと新たな人生の醍醐味を体験し始めることができるに違いありません!