聖書
(530) “主を恐れることは知識の初めである。”
私はドラマをよく観ます。主に日本のドラマと韓流ドラマですが、大抵主役を脅かす『悪役』が登場します。そして、これもよくあることですが、この『悪役』のボス的存在(ほとんどの場合が「お金や地位目当て」なのですが…)が実に優れた人物で、彼の巧妙な手口や人の操り方などを見ていると、つくづく「あぁ~、これだけの技術や能力を『善』のために用いていたら…」と思わされるのです。 現代は「学歴社会」と呼ばれます。私が学生の頃は高校へ進む割合がようやく90%に達した時代でしたが、今やほとんどの人が大学へまで進学するようになっています。小学校入学から数えて15~16年もの年月を『勉学』に励んでいるわけですが、果たしてそれらの学んだ知識を実生活にどれだけ活かせているのでしょうか?実際、中学校の時に「方程式」なるものを学びますが、日常生活でそれらの知識が必要とされる場面はほとんどありません。 聖書は、「まずこの天と地の創造者である神を知れ!」と私たちに呼びかけます。そしてこのことを知らなければ、他のすべての『知識』は虚しい、というのです。創造者である神を知ってこそ、自分自身がどれほど価値ある存在として生まれて来て、他者から搾取したり、お互いを痛め付けたりするためではなく、愛し合い建て上げ合うために生きていることを知ることができるのです。その上で「他者のために自分ができること」を豊かにし、磨き上げるために「知恵や技術」を身に付けて行こうとするならば、この世界はどんなに美しいものになって行くことでしょうか?