聖書
(519) “こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、…神の家族なのです。”
1月20~22日の週末に「ニュージーランド在住日本人クリスチャンの集い」が行われました。ニュージーランド全国各地から100名弱の日本人クリスチャンたちが集い、実に圧巻でした。中には「自分が住む都市や町でたった1人の日本人クリスチャン」という方々もおられ、一緒に『日本語で』聖書を読んだり、『日本語で』神様を賛美したり、『日本語で』聖書のメッセージを聴いたり、『日本語で』一緒にお祈りしたりするだけで、胸がいっぱいになって涙にむせぶ場面が多々ありました。初めて会った同士がたくさんいたにも関わらず、あたかも「旧知の友」であるかのように深い心の思いを分かち合う姿は、見ていてとても心を打つものでした。 日本語には「遠くの親戚よりも近くの他人」という言い回しがあります。確かにイザという時、「血はつながっていても、普段全く付き合いのない親戚」よりも、「たとえ血のつながりはなくても、普段から付き合いのある他人」の方が頼りになることが多いでしょう。しかし聖書には『神の家族』という表現が何度か出てきます。これは「血のつながり」こそありませんが、「創造主である神」を共通の『父』とする「霊のつながりを持った家族」という意味合いがあり、たとえ初めてあったばかり同士(時には「会ったこともない同士」)であっても、お互いにことばには表せない『親しさ』を感じることができるのです。 今回の集いでは「同じ日本人同士」ということもあり、そこには特別な『仲間意識』があったと思いますが、私たち家族は今までに様々な国々で「他国人同士であっても家族のような親しさ」というものを体験したことがあります。肌の色も、話す言葉も文化も違う者同士なのに、「同じ『父なる神』に愛されている存在」というつながりが、私たちを引き寄せてくれたのです。 「唯一の創造主である神を信じて生きる」って、本当に素晴らしいことなんです!