聖書
(516) “私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。”
イエス・キリストは、その『教え』や『みわざ』の卓越性のゆえに「近寄りがたい存在」というような印象を与えますが、決してそんな存在ではありません。彼は『神の子』として地上に来られましたが、あくまで『人』として生きられたのです。勝手なイメージで美化しすぎることなく聖書が描く「イエス・キリスト」を観察するならば、彼がいかに「人間臭い」かが見えてきます。イエスは私たちと同じように1人の女性から生まれました。私たちと同じように疲れを感じ、のどが渇き、お腹をすかせました。腹を抱えて笑い、怒り、涙を流しました。そして時には仲間たちと酒を飲みながらどんちゃん騒ぎもしました。 そんな中で聖書が伝えるイエス・キリストの素晴らしさは、ご自身の体験を通して「私たちの痛みを分かってくださる」ということです。私たちは深い悩みや心の痛みの中にいる時、あまりの辛さのゆえに、周囲の慰めに対して、「あなたたちになんか、この私の痛みが分かるわけない!」と毒づきます。しかし実際は、「誰かにこの辛さを分かって欲しい」と心底思っているのです。ただ、うわべや口先だけの慰めに嫌気がさしてしまうだけなのです。しかし、聖書をじっくり読めば分かることですが、イエス・キリストは実に「筆舌尽くしがたい悩み・苦しみ」を経験された方でした。自分に与えられた使命を家族にさえ理解されず、人々は「イエスご自身」ではなく、「イエスから受ける利益」だけを目当てに近づいてきました。親友は無残に殺され、信頼していた弟子には裏切られ、社会的リーダーたちからは敵視され、ついには『十字架刑』という極刑に処せられて殺されたのです。あなたの知り合いに、これほど惨めで悲惨な人生を歩んだ人はいるでしょうか? このイエスが、十字架刑から3日目によみがえられ、今日も生きて私たちとともに歩んでくださるのです。私たちの悩みや痛みを完全に理解してくださるのです。何故ならご自分が「同じように試みにあわれた」からです。このイエスこそまさに、あなたが必要としている『救い主』なのです!