聖書
(515) “たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。”
ある子供が近所の森に『キノコ狩り』に行ったそうです。よくありがちなことですが、彼はキノコ探しに夢中になって、どんどん森の奥の方に入って行き、ふと気が付くと全く見覚えのない場所に迷い込んでいて、自分の家の方向がまるっきり分からなくなってしまったそうです。少年は物凄く不安になりました。幸いその森はそれほど広くはなかったので、何とかかんとかやっとのことで家に辿り着けたそうですが… それから何日か経って、その子供はもう1度『キノコ狩り』に行ったそうです。懲りない性格ですね。そしてまた前回と同じようにキノコ探しに夢中になってどんどん森の奥に入って行きました。しかし今回は迷うこともなかったし、不安になることもなかったそうです。何故でしょう?実は、今回は少年のお父さんも一緒に来ていたのです。少年はキノコ探しに夢中になりつつも、常にお父さんが見えるところにいることをちゃんと確認していたのです。 聖書の中には多くの「神の約束」がありますが、恐らくそれらの中で最もすばらしくて力強い約束は、「共にいてくださる」ということだと思います。私たちはできることなら「何の問題もない人生」を過ごしたいと願いますが、残念ながら神を信じていても信じていなくても問題は起こります。「神様が私を愛してくれているなら、どうして問題なんて起こるの!」と文句を言いたくなるかもしれませんが、ある面『問題のない人生』は、『成長のない人生』です。神は私たちの人生に『困難』が起こることを容認することを通して、私たちを「成長させる」とともに、『私たちと神との関係』というものを、より深く豊かなものとしようとされているのです。