聖書
(511) “あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。”
皆さんは朝目覚めた時、きっと「今日はどんな服やアクセサリーを身に付けようかなぁ」と思うことでしょう。ぜひその時に「外面的に身に付けるもの」だけでなく、『内面的な身支度』にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか?「今日は人々に対してどのような態度を示そうか?」「ポジティブな態度でいようか、それともネガティブな姿勢で?」「協調性を心掛けようか、それとも批判的に?」「自己中心的に行こうか、それとも他の人のために役に立つ者でいようか…」などなど、いろいろ考えられますよね。 「でも、人に親切にしてばかりでは、いいように利用されてしまうのでは?」と思うかもしれません。実際そういうこともあります。しかしたとえ多少損をすることがあったとしても、他の人に親切な態度で接することは優れたことです。それには次の2つの理由があります。 ①神が私たちに対して恵み深く親切に接してくださっているから ・ある有名な詩人は「人が親切な心で生きている時、最も『神の素晴らしさ』を反映している」と言いました。言い換えるなら「互いに親切な態度で生きるために」神は私たちをお造りになられたのです。 ②自分の心の奥底で「他の人から親切にされたい」という願いがあるから ・イエスの最も優れた教えの1つは「他の人にしてもらいたいと思うことを、あなたもしてあげなさい」です。『黄金律』とも呼ばれています。私たちが他の人を冷たくあしらう時、その人もあなたに対して冷たい態度を取るでしょう。しかし逆に親切な態度で接するなら、親切な反応が返ってきます。日本のことわざに「情けは人の為ならず」と言われている通りです。 実際私たちが他の人に親切な態度で接することを習慣にするならば、それは単に人間関係を円滑にするだけでなく、私たち自身の心をも豊かなものへと成長させていくのです。「人をも富ませ、自分をも豊かにさせる」、これが神様が私たち1人1人に望んでおられることなのです。