(498) “志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。”

 「全ての人は『心の平安』を求めている」と言ってもよいでしょう。特に2年以上も続いているこの『コロナ禍』の中で疲れ果てている方々は「一体いつになったらこのコロナは終息してホッと安心できるのか?」と考えておられることと思います。  多くの人々は「平和な状況」の中に『心の平安』を見出そうとします。しかし実を言うと『心の平安』は「状況」の中ではなく、「確かなものに対する信頼」を通して得られるものです。逆の言い方をすれば、「不確かなものに信頼している限り、『心の平安』を得ることはできない」ということです。  私たちは「自分たちの生活をより豊かにしよう」として熱心に働き、様々な発明をし、その結果私たちの生活は驚くほど便利になり、物質的には「豊かに」なりました。ほとんどの人が『パソコン』『スマホ』を所有しており、ほんの30年前には考えられないような時代です。しかしその結果何が起こっているのでしょう?確かにこれらのものは私たちの生活のある面を豊かにしたかもしれません。しかし「知る必要もない情報の洪水」の中で、私たちは不確かな情報によって『不安』をあおられ、最も大切にするべき『心の平安』を奪われています。  小学生の頃、国語の授業で『杞憂』という故事成語を学びました。杞の国に住む男が「天が崩れ落ちてきたらどうしよう」と心配したことから生まれた言葉だと学んだ時、子どもながらに一笑に付したものです。しかし現代はこの『杞憂』が世界各地で起こっていると言えるのではないでしょうか?  「周囲の状況」や「物質的豊かさ」は時と共に変化します。しかしこの世界にたった1つだけ「変化しないもの」があります。それはこの全宇宙を生み出された『創造主なる神』です。そしてこの『神』を求め、深く知って行けば行くほど、この方の憐れみと愛の大きさに魅了され、深い信頼が生まれてきます。この「創造主なる神への深い信頼」の中で生きる時、私たちは『揺り動かされることのない平安』をもって日々を歩むことができるようになるのです。