聖書
(493) “あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。”
私は昭和中期生まれですが、私が生まれてから半世紀余りのうちに世界は大きく様変わりしました。自動販売機、コンビニ、パソコン、百円ショップ、そして携帯電話にスマートフォン!50年前には思いつきもしなかった『便利品』が次々と生まれ、あっという間に普及し、以前は「不可能」と思えていたのに、今は「実現可能」になったということがたくさんあります。 多くのことを思いのままに操作できるようになったため、つい「自分の人生をも自分の好きなように操れる」という錯覚に陥りがちですが、実際はこれほどまでに文明が発達し科学が進歩しても、未だに人は1分先のことも見通すことができません。相変わらず多くの人々は日々不安を抱え、カウンセリングに通ったり、占いに頼ったりします。しかしそれらの中には「人生の不安を根本的に解決する術」を見出すことはできません。何故なら、それは人間の手中にあるのではなく、「全能の神の大きな御手の中」にあるからです。 聖書は、「現されていることは人間のものだが、隠されていることは神のものである」と教えています。人が追求しても見出せないのは、神が「それはわたしに属しているのだから、わたしに信頼しなさい」と招いておられるのです。いつ?なぜ?どのようにして?などの疑問について内側で悶々と思い巡らすのではなく、「いくら考えても分からないことは、神に委ねるべき領域なのだ!」と心得て、神に信頼して委ね、私たちは自分の手の届く範囲の事に全力を尽くすようにすれば良いのです。