聖書
(487) “待ち望め、主を。”
昭和中期(?)に生まれた私たちの世代から見て、現代人の大きな1つの特徴は、「待てない」ということです。あるクリスチャンがこんなお祈りをしたという笑い話があります。「神様、どうぞ私に『忍耐』を与えてください。今すぐに!」 きっと神様はこの祈りに「すぐには答えない」という形で答えてくださったと思います。 実際、『待つ』ということから私たちは多くを学ぶ(得る)ことができます。日本語にも「急いては事を仕損じる」ということわざがありますが、待ち切れなくて性急に行動を起こすことで望まない結果を生むことは多々あります。車のスピードを上げれば上げるほど運転手の視界が狭められてしまうのと同じように、急いで行動すればするほど、周囲が見えなくなるものです。 しばしば「待つこと」には勇気が要ります。「こんなにゆっくり行動していて、手遅れになってしまったらどうしよう…」という不安と戦わなければなりません。聖書が「主を待ち望め」と教えるとき、そこには「あなたを愛し、あなたに最善を成してくださる神(天の父)に信頼しなさい。『神のタイミング』『神の方法』が知らされるまで、落ち着いて周囲を見回しなさい。」というメッセージが込められています。『待つ』とは、成熟した人間がより良い結果を残すための「信頼の行為」なのです。