聖書
(481) “霊の父(神)は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。”
あなたにとって『良い人』とはどんな人ですか?欲しい物を何でもくれる人?困った時にはいつでも助けてくれる人?自分に対して嫌なことは1つもしないで、楽で楽しいことだけをさせてくれる人? 聖書は、「この天地を造られた創造主なる神は『良いお方』である」と教えています。ところがある人々はこのことにつまずきます。何故なら、それらの人々の持っている『良いお方』のイメージと、実際の聖書の神のご性質とが必ずしもマッチしないからです。彼らの『良い神』は、まさに冒頭に挙げたような「自分にとって超都合の良い存在」であるからです。 聖書の神は、『父なる神』とも呼ばれています。そして「欲しい物は何でもくれて、楽で楽しいことだけをさせてくれる父親」が『良い父親』ではないことは、ちょっと考えてみればすぐ分かります。もちろん幼児の頃から厳しくしてばかりいたら、それは『幼児虐待』ですが、青年期に達してもまだ甘やかしてばかりいるような父親は『ダメな父親』ではないでしょうか?同様に聖書の神も、私たちの信仰の成長度に応じて敢えて『試練』をお与えになります。それは神が意地悪だからではなく、むしろ『良いお方』であって、私たちの更なる成長を願っておられる方だからです。私たちにとって『良い方』とは、私たちを「自己最高の人生」へと導き、またそれにふさわしく訓練してくれる存在なのです。 私が学生の頃は、どちらかというと保守的な考え方を持っていました。つまり「冒険をしない性質(たち)」だったのです。ところが大学1年の時にキリストと出会って以来、これまでの私の人生はまさに波乱万丈です。そしてこの40年の道のりは私を大きく成長させてくれました。だからこそ私は、私が関わるすべての人がこの「キリストを通しての神との関係」に生きるようになり、『自己最高の人生』へと歩み出すようになるようにと、切に願っているのです!