聖書
(465) “何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。”
ある人がリトルリーグの野球の試合を見に行った時のことです。ベンチで声援を送っている少年に声をかけ「今は何対何でどっちが勝ってるんだい?」と尋ねると、「うん、18対0でウチが負けてるんだ」との答え。ちょっと気の毒になって「それはガックリきてるだろうねぇ?」と問うと、少年は元気よく答えました。「まさか!どうしてガッカリする必要があるのさ?だってまだ試合は1回の表で、ボクたちは1度も攻撃してないんだよ?!」 どういうわけか、私たちは大人になるにつれ『夢』を見られなくなり、『希望』を抱きにくくなる傾向があるようです。情勢を見て嘆き、周囲の否定的な言葉に影響されて心を落ち込ませてしまいます。しかしある心理学者は言いました。「私たちの幸福感は、自分の心が何とつぶやいているかよりも、自分の心に何を語りかけるかによって保たれる」と。 「神を信じて生きること」と、「運命に従って生きること」とを混同してしまっている人がいますが、これは誤りです。神は「全てを決めてしまっている」のではなく、「全てを知っておられる」のです。しかし敢えてそれを人に知らせることはせず、かえって人に『自由意志』をお与えになりました。それは、私たちが「神が自分自身に与えてくださっている大いなる可能性」を信じて、大志を抱いて1日1日を前向きに生きて行って欲しいからです。 さあ、あなたは今日『自分の心』に、どんな希望のメッセージを語りかけながら進んで行きますか?