聖書
(464) “神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。”
人は誰でも「誰か、もしくは何か」を拠り所にして生きています。それは『自分自身』であったり、『他の誰か』だったり、『お金や物』だったりするわけですが、そのような「気分に左右される人間」や「時の流れと共に移り変わりやすいもの」を人生の拠り所としているならば、あなたの人生はいつも「危険にさらされている」と言えるでしょう。もしあなたの「精神的な拠り所」を『天地創造の神』以外に置いているのならば、どうあがいても「人生の不安」から逃れることはできません。 聖書が教える『神』にとっての「最大の関心事」は『人』です。神は「人の内側で」、「人と共に日々の歩みの中で」、「人々を通して世界に向けて」ご自身の愛と恵みを表現したいと望んでおられるのです。そして自分自身との関わりの中で働くこの「神のみわざ」に心を向け、またそれらを体験するようになると、私たちは『自分自身』という存在を新しい目で見ることができるようになります。言うなれば、『自分』という人間がどれほどに価値ある存在なのか、ということに気づかされるのです。 「不安を抱えたまま生きること」は、私たちの『人間らしさ』を脅かします。私たちが神様から本来与えられている「自己尊厳性」や「創造性」、そして「人々を愛して生きるという喜び」が失われて行くのです。『神』以外を拠り所にして生きる人は、常に「もっと、もっと」と追求します。それは『成長への意欲』ではなく、いつも「まだ何かが足りない」と感じる『不足感』や『自己中心性』のゆえです。しかし拠り所を絶対的な信頼を置くことのできる不動の存在である『神』の内に見出すことによって、真の充足感を味わうことができ、安心して「自分の心の深みにある人生への情熱・目標」にエネルギーを使うことができるようになるのです。