聖書
(433) “墓の中には亜麻布が置いてあるのが見えた。”
この前の日曜日は、『イースター(復活祭)』というキリスト教のお祭りでしたので、今回は「キリストの復活」にちなんだ話をしましょうね。 イエス・キリストが元々は「大工の家庭」で育てられたことは、ご存知の方もいることと思います。そして今から2000年前の聖書の時代に、イスラエルの優れた大工たちの間では1つの習慣がありました。当時大工たちは作業中には必ず前掛けを付けて働いたのですが、大工たちは頼まれた仕事を満足いく出来でやり遂げた時、その完成品の上に自分が使っていた前掛けをたたんで置いておくのだそうです。これが「この仕事は私が手掛けた仕事であり、立派な出来栄えで確かに完成している。もはや付け加えるべきものは何もない」という証しなのです。 さて、イエス・キリストが金曜日に十字架に架けられて私たちの罪の代価をご自身のいのちをもって支払ってくださり、予告通りに3日目の日曜日によみがえられた時、弟子のペテロとヨハネは復活のうわさを聞いてイエスが葬られた墓に真相を確かめにやってきました。するとそこにはイエスの遺骸はなく、あったのはイエスの遺体に蒔かれていた『亜麻布』だけでした。もしかするとペテロとヨハネは「空っぽの墓」にびっくり仰天していてその時には気付かなかったかもしれませんが、この「空っぽの墓」にただ1つ置いてあった、イエスが身に着けていた『亜麻布』がそこに置き去りにされていたことには意味があったのです。すなわち、これはイエス・キリストが私たちに送った、ご自身の『仕事の完成』を告げるメッセージだったのです!「私は全人類が救いに至るための道を完成させた。もはや人間の側で付け加えるべきもの(「良い行い」とか「寄付金」など)は何1つ無い。ただ私が確かに救いのわざを完成したということを信じるだけで『救い』を得る。」 『イエス・キリストの復活』、これは紛れもない「歴史上の事実」であり、神が私たちを「イエス・キリストが成し遂げられたみわざの故に救ってくださる」という、疑いようのないメッセージなのです!