聖書
(432) “みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。”
この聖書の言葉は、「聖書のみことばは、ただ聞くだけで実行しないなら、少しも価値がない。しっかりと聞いてその真意を悟り、それを実行して神の祝福を得なさい」という勧めのすぐ後に書かれています。では「顔を鏡で眺める人」とはどういう意味でしょうか? この「顔を鏡で眺める人」という表現で『人』に使われている語は、原文のギリシャ語では『男性』を指すことばです。これって面白いと思いませんか?一般的に「男性の鏡の見方」と『女性』のそれとは、大きく違います。男性は大抵鏡をチラッと見ただけで大方OKであればそのまま出かけますが、女性はそうではありません。毎朝鏡の前で十分に時間を取り、入念に自分の姿をチェックし、必要ならば手直しをします。ハンドバッグには必ず手鏡が入っており、折に触れて髪形や化粧が崩れていないかチェックします。また家には大抵全身が映る『姿見』があり、服装全体のコーディネートもひと目でチェックできるようになっています。私は車で通勤していますが、バックミラーで後方にいる車を確認すると、時折女性ドライバーが、信号待ちの時などに運転席の『日よけ』の裏に付いている鏡で化粧を直している様子を目にします。 すなわちこの聖書のことばは、聖書を読む時には、男性が鏡を見るように「チラッと」読んで分かったつもりになって慌てて1日を始めるのではなく、女性が朝ごとに念入りに鏡の中の自分を覗き込むように「じっくりと読み、その内容を深く理解し、今の自分が『神の求めている姿』とズレていないかをよくチェックして、ちゃんと必要な修正を加えてから1日をスタートするように」と、聖書を読む時に持つべき正しい姿勢を分かりやすく教えてくれているのです。