(415) “すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたし(キリスト)のもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”

 白人たちがアメリカ大陸に乗り込んでくるまでは、アメリカインディアンたちにはまだ『書き言葉』がありませんでした。しかし彼らの言語にはその他の広く行き渡っている言語と同様に多くの語彙があり、しかもそのいくつかはとても豊かな意味を持っています。例えば『友人』を意味する言葉を直訳すると、「心の痛みを代わりに負ってくれる人」となるそうです。何てステキな定義なのでしょう!  誰かがあなたのところに「慰め」や「アドバイス」を求めに来たとしましょう。実はその人が最も必要としているものは、あなたの気の利いたことばなどよりも、ただあなたが隣りにいてくれること、打ち明け話にじっと耳を傾けてくれること、そして「不安や悲しみを共有してくれること」などであることがほとんどです。たとえどんなに立派なアドバイスを与えてあげられたとしても、あなたが急ぎ足でその場を去って行くならば、きっとその人には「この人は私のために十分に割けるだけの時間がないんだな」という印象だけが残ることでしょう。  イエス・キリストについて書かれている記述の中でも最も素晴らしいものの1つは、「私たちの弱さに同情してくださる方」だということです。彼は人々に接する時、決して急いではいませんでした。人々の必要のために、いつもそこにいてくださる助けでした。悲しむ者と共に涙する方でした。そして何よりも素晴らしいことに、彼は今でもそうなのです!もしあなたがその心の重荷から救われようと本気で彼に助けを求めるならば、イエス・キリストはあなたの所に来て、その重荷を負ってくださるのです。