聖書
(412) “あなたがたは、自分が量るその秤で量り与えられるのです。”
『正直さ』というものを重視して生きる人々がいます。もちろん『正直さ』は大切です。但しその『正直さ』という看板をかざして他の人の弱点や落ち度を不必要に指摘するのはいかがなものでしょうか?「私はただ感じたままを言ってるだけです。だって事実でしょう?本当のことを言って何が悪いんですか?聖書にだって『偽りを言ってはならない』って書いてありますよね?」 確かにその通りかもしれません。しかし聖書は次のようにも言っています。「人はうわべを見るが、神は心を見る。」「憐れみ深い者は幸いです。その人は憐れみを受けるからです。」 アナタが言う『正直さ』は、『愛の心』に基づいたものでしょうか?相手のその欠点を指摘するのは、純粋にその人の成長を願ってのことでしょうか?真の『愛』は神から流れてきます。神は私たちを建て上げるために、時には厳しく、そして時には優しく私たちに自分の非を認めさせ、更なるステップアップのための『悔い改め』へと導きます。神が私たちの落ち度を指摘するとしたら、それはいつでも「私たちの罪を赦し、つまずきから回復させ、新しい1歩を踏み出させるため」なのです。 神は「私たちが他の人に対して下す評価が、必ず自分の身に帰ってくること」を知っておられます。そして神は私たちが『神に愛されている者』として、「互いにさばき合う者」ではなく「互いに建て上げ合う者」であって欲しいのです。ぜひ神が私たちの弱さを憐れんでご自身のひとり子の十字架によって私たちを赦してくださったように、「真の愛に裏打ちされた『正直さ』」をもって、共に更なる向上を目指して進みましょう。