聖書
(367) “私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。”
ある人がとても広い農場を持っていました。彼の家族はそれを先祖代々受け継いできたのですが、彼の死後とうとうその農場は他の人に買い取られました。ある日その農場の新しい持ち主が、新しく手に入れた自分の農場をのんびりと散策していると、1本の細長い石の塊が地面から突き出ているのを見つけました。興味深く思った彼は、それを引き抜いて家に持ち帰り、良く洗ってから試しに宝石店に持って行って調べてもらいました。すると何とその石の塊は何億円もの価値を持つ『エメラルドの原石』であることが分かったのです!この原石は恐らく何百年、いや何千年も前からその場所にあり、何百人もの人々が何百回もその側を通ったはずですが、誰もそんなに価値があるものがそこに眠っているとは気付かずに「ただのありふれた石」と思って見過ごしていたのでした。 私たちが何かを『発見』する時、実はその「何か」はずっと以前からそこにあったものなのです。私たちは「自分の人生にもっとエキサイティングなことはないのか?」「自分は何のために生まれて来たのか?」「もっと自分の個性を活かした生き方はないのだろうか?」と、いろいろな本を読んだり、セミナーに参加してみたりしますが、実はそれらの『宝』を見い出すカギは、初めから「自分自身の中」にあるのです。 私たちがこの『自分の内にある宝物』を見つける1つのヒントとなるのは「その特徴を知っておく」ということです。この農場の新しい持ち主がこのエメラルドの原石の側を単に歩き去らなかったのは、この原石を見かけた時に「これは普通の石と違うんじゃないかな?」と感じたからです。同様に私たちが「人生の教本」である『聖書』に日々親しみ、私たちの「人生の完全な模範」であるイエス・キリストとの関係の中に生きる時、神があなたを母親の胎内で形造った時からあなたの中に組み込んでおられた『人生の宝』を見つける感覚を磨くことができるのです。