聖書
(317) “父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。”
イエス・キリストが人々に『祈り』を教えられた時、まず「天におられる私たちの父よ」と呼びかけるように言われました。実はこのように神を親しく「我らの父」と呼ぶ習慣は当時のユダヤ人たちの間ではあまり一般的ではありませんでした。彼らにとって『神』という存在はむしろ「厳格で近寄りがたく、超越した存在」という意識があったようです。ところがイエスはそんな『神のイメージ』を一新させたのです。 もしかすると現代の多くの人々にとって『父親のイメージ』というものも、あまり慕わしいものではないのかもしれません。特に「放任主義の家庭」また「虐待の経験がある子供時代」に育った人たちにとっては『父親のような神』などは全く欲しくないものに感じられることでしょう。でも、この『天の父』は私たちのそんな歪んだイメージを一新させる「愛とあわれみと力に満ちたお方」なのです。 「父なる神がどれほどに良いお方か」をいつもイエスから聞かされていた弟子のうちの1人が、ある時我慢できなくなって「イエス様、ぜひ私にも『父』を見せてください!」と懇願すると、イエスはこうお答えになりました。「こんなに近くにいたのに、あなたはわたしを知らなかったのかい?わたしを見た者は『父』を見たのだよ。」 そう、父なる神は「ご自身を人々に正しく理解して欲しいがため」に、ご自分のありのままを人のかたちにして地上に来られた、それがイエス・キリストなのです。私たちが『父なる神の正しいイメージ』をもって生きるためには「聖書を通してより深く『イエス・キリスト』と出会うこと」が最善の道なのです。