聖書
(319) “わたし(イエス・キリスト)が来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。”
英語で『ライフ(Life)』というと、日本語で言う『いのち』と『人生』という全く別の2つのものの両方を表す意味があります。私たちは『いのち』と聞くと「生物学的・医学的ないのち(生命)」を思い浮かべ、『人生』と言われたら「人間1人1人に与えられた生き様」を想起します。 聖書は、イエス・キリストを救い主と信じる者には『永遠のいのち』が与えられると教えています。これを前者の「生物学的ないのち」として理解する人の中には「この世で80年生きるのだって退屈なのに、『永遠のいのち』なんてもらっちゃったら、退屈で仕方がない!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし実際は、この『永遠のいのち』という言葉で表現されているものは「神と共に生きる人生」のことであり、それはイエス・キリストを信じた瞬間から与えられ、この世においても日々成長して行く「生き生きとしたいのち」であり、永続的にもたらされる『喜び』『平安』そして「天地創造の神に100パーセント受け入れられている」という充足感に満ちた日々を生きることなのです。 多くの人々は「お金」「家庭」「生きがい」などといったものが人生を豊かにすると思っているようですが、実際に私たちが心の奥底で激しく欲しているものは「尽きることのない喜び」「状況に左右されない心の平安」「自分は確かに必要とされている、という確信」そして「何かを失ったり、失敗したりしても、相変わらずありのままを受け入れられている、という確固たる安心感」ではないでしょうか?神がイエス・キリストを通して私たちに与えようとしておられる『永遠のいのち』には、まさにそういったものがすべて含まれているのです。