聖書
(275) “私たちは、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。”
『自分の存在価値』というものをはっきりと理解していることは非常に重要です。そうでないと私たちは常に「誰かに認められよう」とやっきになり、相手のために貢いだり、自分を偽ったりして、かえって自分をおとしめることになります。『自分の存在価値』を人からの評価に捜そうとするなら、それは中毒のように私たちを滅ぼして行きます。何故なら私たちは決してそのような方法では「満足に至る」ことはないからです。 私たちが聖書のことばを通して『創造主である神』と出会う時、私たちは初めて「自分の真の存在価値」というものを見出すことができます。何故なら『私たちの真価』は、私たちの「能力」「業績」「財産」などによって測られるのではなく、「私たちが誰の作品であるか」によって決まるからです。 私たちが他の人と語る時、もし「この人は私のことをどう思っているのだろう?」ということが気にかかるなら『心の中の真実』を語ることは難しくなり、結果として「耳障りの良いことだけ」を語るようになります。しかし実のところ大抵の人々はいつも『自分のこと』がその思いの中心にあるので、あなたのことにそこまで真剣に気を遣ったりはしていません。だから「人の目」や「人の言葉」を恐れないで下さい。むしろあなたのことをいつも心にかけてくださっている神様の「あなたは私の最高傑作なのだ。今日も自信を持って堂々と自分自身を生きなさい!」という語りかけにいつも心を留めていましょう。こういうわけで、私たちは「私たちの真価をご存知の神」にふさわしく、いつでも誰に対しても「愛をもって心の真実を語る」べきなのです。