聖書
(265) “何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる。”
「神様に願い事をしたのに叶えてもらえなかったこと」に対して文句を言う人たちはたくさんいますが、「神が願い事を叶えてくれてしまったこと」に文句を言う人はあまりいませんよね?「そんな人いるわけないじゃん!」と思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか? こんなことを言っていた人がいました。「神様がすべての私の祈りを叶えてくれなくて本当に良かった。でなければ、私は何度も間違った人と結婚していたに違いない」と。あなたは「あの時のあの祈りが文字通り答えられてしまっていたら、とんでもないことになっていた」と思い当たることは全くないでしょうか? 私たちはしばしば『自分の本当の必要』を理解していません。この天地万物を造り、私たちをも生み出してくださった神様は「最高に良いお方」ですから、私たちの『最善』だけを願ってくださっています。ですから、私たちが『最善以下』を祈り求めている時は、その祈りに答えないでいることをじっと耐えておられるのです。 そもそも『祈り』とは何でしょう?私たちは『祈り』と『願い事』をほとんど同じ意味で用いますが、実はこの2つは全く別のものです。『祈り』は言わば「神様とのコミュニケーション」であり、私たちが『神様』という方をより深く知るために欠かせない営みです。私たちは『祈り』によって神様に近づき、その大きな愛に触れ、私たちのありのままを受け入れていただくことによって、深い平安を体験することができるのです。その上で私たちは「この方が与えてくださるものこそ、私にとって最高に『良いもの』なのだ」と確信し、『神のみこころ』を求めるようになるのです。 神様は、求める者には喜んでご自身の『みこころ』を「聖書のことば」や「祈り」を通して私たちに教えてくださいます。その『神のみこころ』に従って私たちが「願い求める」なら、神は「待ってました!」とばかりにその『祈り』に答えてくださる、これが聖書の約束なのです。