聖書
(247) “心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。”
私が大学生の時(ずいぶん前のことですが…)『教育学』の授業で「誉め方・叱り方」についてのリサーチをしたことがありました。いくつかの小中学校でアンケートを取ったのですが、その結果からはっきり分かった1つの意外なことは「人は叱られた経験よりも誉められた経験の方が強く心に残っている」ということでした。しかし大変残念なことに、ほとんどすべての学生たちにとって「誉められた経験」よりも「叱られた経験」の方がずっと多かったのです。 どうして私たちは、人を誉めたり励ましたりするよりも、むしろ叱ったり批判したりすることを選んでしまうのでしょう?恐らくその1つの理由は「長所よりも短所の方が見つけやすい」もしくは「自分の欠点を直すよりも、他人の欠点を指摘する方が楽だから」ではないでしょうか? 私たちは『自分自身の価値』というものを「自分が持っているもの」に求めがちです。すなわち「自分の知識」「自分の長所」「自分の能力」「自分の経験」などです。ですから、自分よりも多くを持っている人と出会うと、妬んだり落ち込んだりするし、逆に自分よりも少なく持っているように見える人と出会うと、優越感に陥ったり、何とか相手を修正してあげようと余計なお世話をするのです。 誰も、この天地を造られた『創造主なる神』以上に多くのものを持っている人はいません。しかし神は私たちに対して優越感を抱いたり、私たちを無理やり修正しようなどとは決してしません。むしろ私たちの弱さをあわれみ、いつくしみ、そしてその弱さを通してご自身の栄光を現そうとしてくださいます。ですから私たちは安心して、この神様に自分自身の弱さを明らかにし、それを受け止めていただくことによって大きく励まされ、そして今度は周囲の人々の「あるがままの価値」を認めて喜び、その弱さを受け入れ、一緒に神様の優しさを求めていくことで成長していくことができるのです。 誰もが「人生のチアリーダー」を必要としています。ところが今や自分の家族からでさえ、そのような『声援』を受けることなく大人になってしまう人々が増えています。あなたも「神との関係に生きる者」となることを通して、人を妬んだり批判したりする毎日から脱出して、周囲を奮い立たせる人生を送りませんか?