聖書
(246) “人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。”
神がこの天地万物をお造りになった時、最初の人間アダムとエバの間には、何も隠し事はありませんでした。彼らは体も素っ裸だったし、心も素っ裸でした。「相手に知られたら困ること」は何もなかったのです。 このアダムとエバが悪魔にだまされて神様から離れたときに、彼らは多くのものを失いましたが、それらの中の最も大切なものの1つは『親密な関係』です。以来私たち人間は「神との親密な関係」を体験することができなくなり、また人間同士の間(最も親密であるはずの夫婦関係においてさえ)でも、本来味わえるはずの『親密さ』を持てなくなりました。 私たちがこの『親密な関係』を築けない大きな原因となっているのは『恐れの心』です。「もしあの人が私の本当の姿を知ったならば、きっと私から離れて行くに違いない」「私が彼の要求に十分に応えられなかったら、きっと彼は私にガッカリしてしまうに決まっている」「アイツにこの弱みを握られてしまったら、一生アイツの奴隷としてこき使われてしまうかもしれない」などなど。私たち人間は皆「真に信頼し合える関係」を切望しながらも、これらの『恐れ』によって自然と「心を許し合う関係」から遠ざけられてしまうのです。 では、一体どうすれば私たちはもう1度、神が私たちに人間に本来与えてくださっているこの『親密な関係』を回復することができるのでしょう?その方法はたった1つ。創造主である『神との関係』を回復することから始まるのです。 神は、自分の罪によって神から離れてしまっている私たちのために、『和解の使者』としてイエス・キリストを遣わし、その十字架の死によってすべての罪を清算し、ご自身との関係を回復する道を備えてくださいました。このイエス・キリストを通して神との関係を回復された者同士が、共に「すべてをお見通しの神」の前に『裸の心』で進み出ることによって初めて、お互いのことをもありのまま受け入れることができるようになるのです。これは「神に心を開いた者」だけが体験できる、驚くほど喜びに満ちた特権です!