聖書
(228) “いつも主にあって喜びなさい。”
一般的に次の3種類の人がいると言われています。①自分が幸福であることを他の人に申し訳なく感じる人 ②人の幸福を見るとケチをつけたくなる人 ③落ち込んでいる人を励まし、元気付ける人 ①のようなタイプはある意味「非常に責任感が強い人(?)」であり、②のようなタイプは恐らく「深く傷つけられた経験があって、心の中に苦々しさを抱いている人」に違いありません。 キリストの使徒パウロは「いつも主(神)にあって喜びなさい」と書き送りました。ある人は「そんなことが言えるのは、人生の厳しさや試練を知らないからだ」と言いたくなるかもしれませんが、実はパウロがこの言葉を書いたのは、彼がいつ釈放されるかも分からない牢獄の中にいた時なのです。彼にとって『喜び』とは「自分の置かれている状況に対する反応」ではなく、「自分で決めて選び取る心の態度」だったのです。真の喜びは、移ろいやすい私たちの心から生まれては来ません。もっとずっと大きな、周囲の状況を超えたところにおられる『神』から来るのです。 このような喜びを心に抱いて生きるには、次の3つのことに心を留める必要があります。①『真の喜び』は出来事や状況の中にあるのではなく「喜びの源である『愛の神』」から来る。②日々意識してこの『愛の神』に心を向け、信頼と希望を育む。③神があなたをご覧になっているのと同じ目線で人々を見つめ、祝福する。 私たちの人生を左右するのは、「どんな心を持っているか」ではなく、「どこに心を向けているか」なのです。