聖書
(204) “あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。”
『思い煩うこと』ほど「無駄な時間の過ごし方」はありません。イエス・キリストも次のように言われました。「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか?」全くその通りです! 『思い煩い』は「心の平安」や「親密な人間関係」といった、私たちの人生を豊かにしてくれる要素を奪っていきます。また『思い煩い』はいつも背後から私たちの隙を伺って、私たちの思いの中に忍び込んで来るのです。 『思い煩い』というものは通常「私たちにはどうにもできないこと」に関してわたしたちが「あれやこれや」と思い巡らすことが原因です。1日の営みを終えて床に就いた後で「もっとああすれば良かった…」とか「あのことはどうなってしまうのだろう???」などと考え始めて、良く眠れなくなったりするのです。どちらにしても寝ている間には何もできないのだから、頭を切り替えてサッサと寝てしまえば良いのに、この『思い煩い』のためによく眠れず、結局翌日は寝不足のために、逆に仕事の能率が更に落ちてしまい、更に『思い煩う』ことになるのです。 聖書が私たちに勧めるのは、「思い煩う代わりに、あなたが眠っている間にさえあなたを顧みてくださる『全能の神』にゆだね(祈り)なさい」ということです。あなたの頭を悩ませている数々の『思い煩い』を片っ端から神様にぶちまけて、「もうあなたに打ち明けましたから、あなたに信頼して、もう悩みません!」と言って終わりにするのです。 ある方は「そんな、神様を『悩み相談所』のように使っては申し訳ない」とおっしゃるかもしれません。しかし聖書には「神は、彼に信頼する者を『神の子供』と呼んでくださる」とあります。そして『親』にとって、愛する自分の子供が1人でクヨクヨと悩んでいるのを、ただ黙って見ていることほど辛いことはありません。 『祈り』とは、何も「お願い事」ではありません。むしろ「神に信頼する者が、その真実な思いを神に打ち明ける行為」なのです。