聖書
(161) “私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心に記されていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。”
少し前になりますが、アメリカ大リーグに『ジョー・ディマジオ』という優れたプロ野球選手がいました。ある時記者が彼にこう尋ねたそうです。「ディマジオさん、あなたはどんな時も全力でプレーをなさっていますよね?平凡なゴロをさばくときも、どんなフライを追いかける時も、しかも自分のチームが大量リードをしている時でさえ、1つでも先の塁に進もうとされますが、そのエネルギーの源はどこから来るのですか?」 ディマジオ選手はこう答えたそうです。「私はいつも自分自身にこう言い聞かせるんです。『おいジョー、もしかしたら今日この球場に、今日初めてお前のプレーを観に来てくれている人がいるかもしれないぞ!』ってね。」 人生に対するこのような態度は、間違いなく周囲の人々に有益なインパクトを与えます。しかしこのような態度は自然発生的には私たちの心に芽生えては来ません。それには日々の強い動機付けを生み出す『不変のエネルギー源』が必要です。そしてそれは私たちを「ご自身のかたちに似るように」とお造りになった神からやってきます。 私たちが試されるのは、自分が絶好調であったり、準備万端な時ではありません。むしろ「問題が起こった時にどう対処するか」「日常生活の中で家族や同僚をどんな態度で扱っているか」「先生や上司がいないところでどう勤勉さを保っているか」、そして「周囲からの心ない批判や試練に出会った時にどう応対するか」などを『見られて』いるのです。私たちの心にスキができそうなこのような時にこそ、「たとえ他の誰もが敵に回っても決して私たちを見捨てることのないお方」との関係を固く保っていることが物を言うのです。