聖書
(130) “私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。”
イエス・キリストの使徒パウロは、結婚もせず家庭も持ちませんでしたから、死んだ後にいわゆる『資産』と呼べるものを何1つ残しませんでした。しかし実際には、彼が残してくれた偉大な財産によって、私たちは今日に至るまで大いに助けられています。その財産とは、聖書の中に残された彼の手紙であり、彼が宣べ伝え、多くの人々をキリストにある救いへと導いた『福音の力』です。 実を言うと、今これを読んでいるあなたの今日の生き様も、目に見えない形で周囲の人々に何らかの影響を残しているのです。例えば誰もいない部屋に踏み込んだ時、そこに何とも言えない芳しい残り香が感じ取れるように、人生にもたらされる祝福も、知らず知らずのうちにあなたから発せられ、また受け継がれているものなのです。 「自分には大した貯金もないし、立派な土地や家屋もない。子供たちには何も大したものを残してやれない!」と思うでしょうか?その通りです。私たちが『遺言書』にリストアップすることができるようなもので、後の世に『大した影響』を与えるようなものはほとんどありません。しかし「夫や妻、そして子供たちをどのように愛したか」「仕事仲間や近所の人々にどのような誠実さをもって接したか」そのようなあなたの日々の人生に対する態度は、あなたがこの世を去ったはるか後にも、暗闇に光る松明のように輝き続けるのです。そしてこれらのあなたの財産には、それらを獲得するためにあなたが日々支払い続けた尊い金額がきっと刻まれているに違いありません。