聖書
(125) “神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる…のです。”
1961年、初のロシア人宇宙飛行士として飛び立った無神論者『ユーリ・ガガーリン』は、地球に戻って後次のように述べました。「私はロケットからあちらこちらをじっくりと見回したが、どこにも神など見当たらなかった。」 確かに彼は人類のほとんどが眺めたことのない世界をほんのちょっとだけ見回してきたかもしれませんが、それで「神はいない」と結論付けるとしたら、それはあまりにも浅はかです。もしあなたが1秒に2つのペースで星を数え上げていったとしても、『天の川』の中にある星だけを数えるのにさえ2000年以上かかるのです。そしてまた、標準の大きさの星でさえ、その直径は100億人以上の人間が手をつないでならんだよりも長いのです。それほどに広大な宇宙の一体どこを眺めてきて「神はいなかった」と結論付けられるというのでしょう!? 聖書には「この広大な宇宙でさえ、神の『ほんの指先のわざ』にしかすぎない」と書かれています。そしてその「『ことばでは到底言い尽くせないほどの偉大な神』が、私たち人間を心に留めておられる」というのです。このお方を、私たちのほんのわずかな知識や経験によって結論付けようとするのは、人間の傲慢以外の何物でもありません。神は「人間の探求によって見出される」存在ではなく、唯一「神ご自身がみずからを啓示される」ことによってのみ私たちが感知可能なお方です。 優れた物理学者であり天文学者でもあったニュートンは「宇宙は大きな聖書である」と言いました。そうです。神はその認知不能なご自身の偉大さを私たちに啓示されるために、この広大な宇宙を私たちの面前に広げ、またその愛の深さを知らせるために、私たちに『聖書』を与え、更にまた人の形をとって現れてくださったのです。