聖書
(92) “主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。”
英語では『神』を表す単語が2つあります。1つは「God」、そしてもう1つは「god(s)」です。最初のアルファベットが大文字か小文字かだけの違いですが、実際には決定的な違いがあります。日本語で言うなら、前者は『人間を造った神』であり、後者は『人間が造り(考え)出した神』と言い分けることができるでしょう。前者は世界で唯一であり、後者はいくらでも存在します。 人間は自分の好みや必要に応じて、様々な神を考え出します。「困ったときには助けてくれるけど、普段は決して口出ししない神」「祈りをかなえてくれたり、約束を守ってはくれるけど、間違いを諌めたり、訓戒したりしない神」「どんなことでもできるけど、あくまでこちらの許可の範囲内で、こちらの都合に合わせてくれる神」などなど。 聖書が私たちに啓示している神(God)は、これらの人間的なイメージにはとても納まりきりません。真の神は完全に聖く、全能であり、かつ私たちの心の奥の奥までご存知の『恐るべきお方』です。聖書は、このことを恐れて生きることこそまことの知恵である、と教えます。 『恐れ』には私たちに必要なものと不必要なものとがあります。事故を恐れて安全運転をしたり、病気を恐れて体力づくりをしたりすることは必要です。しかし、失敗を恐れて新しいことにチャレンジすることをあきらめたり、人を恐れて自分の意見をはっきりと言えないことは、私たちの人生をダメにします。「不健康な恐れ」は、私たちを不安にさせ、生きる喜びを奪い、萎縮させます。しかし、それとは反対に「真の神を恐れて生きること」は、私たちをこれらの『不健康な恐れ』から解放し、生きる意義や喜びを満喫させ、人間に本来与えられた「神の栄光を現す人生」へと導いてくれます。 私たちは『自分で造り出した神』に希望を置いている(言い換えるなら、自分自身を神よりも上に置いている)間は、この『まことのいのち』を見出すことはできません。人生のカギを握るのは、『god』ではなく『God』なのです。