聖書
(53) 主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。
あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました。 ある日ビルは自分の上司に匿名でこんな電話をかけました。「もしもし、聞いたところによると、あなたは『十分な経験のある、勤勉で有能な秘書』を捜しておられるそうですが、もし私でよければ、ぜひその部署に志願したいのですが…」 すると、その上司は応えました。「いや、それは何かの間違いではないだろうか。申し訳ないが、私のためには既に大変有能で勤勉な秘書が働いてくれているのだよ。ところで、キミの声にはどうも聞き覚えがある気がするのだが、どなたかね?」 ビルは嬉しそうに応えました。「私です。あなたの秘書、ビルですよ。ちょっと私の働きぶりがその部署にふさわしいかどうか、試してみたかったんです。」 私たちはしばしば「自分自身の生き方」を吟味する必要があるのではないでしょうか?私たちは、知らず知らずの間に大きく道を外れてしまっていることがあります。そしてそれは一晩のうちに起こるわけではなく、自分では気づかないくらい「少しずつ」起こるズレであり、いつの間にか「2度と元の位置に回復できない」ところにまでズレてしまっていることだってあり得るのです。もし飛行機の飛んでいる向きがたった1°ズレていただけでも、到着場所は何百キロも離れてしまうじゃありませんか。 初めは心を込めて1つ1つの役割を果たしていたとしても、いつの間にか「もっと簡単に素早くできないだろうか?」などと、能率性や楽をすることを追求し始め、「誰に仕えているのか」を忘れて、「給料をもらえれば、それでいい」とか「取り敢えず退社時間まで会社にいればよい」ということが、あなたの基準になってしまっているとしたら、それは危険信号です。私たちは『報酬』のために働いているのではなく、私たちに素晴らしい「思考力」や「運動機能」を与えてくださった『創造主なる神』のご性質を繁栄するために生きているのです。 マザー・テレサは言いました。「大切なのは、『どれだけのことをしたか』ではありません。『どれだけ心を込めたか』なのです。」と。もう1度自分の1日の歩みを振り返り、「人生に対する姿勢」を吟味してみませんか?