聖書
(45) あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。 『杞憂』という言葉をご存じでしょうか?昔中国の『杞』という国の人が「もし天が落ちてきたらどうしよう…」と思い悩んでいた、という出来事を元に、「心配してもどうしようもないことを気に病むこと」を指して言います。「そんなバカげたことを心配していた奴がいるのか?」と笑っているアナタ!「自分にはそのような心配事は1つもない」と本当に言い切れますか? ちょっとした心配事なら、誰にでもあります。それらの心配事の中には、「最近太ってきたから、ダイエットしよう。」とか「貯金が減ってきたから、もっと節約しよう。」など、自分で手軽に対応策を講じることができるものもありますし、「今度また大地震が起こったら、どうしよう?」「自分が預金している銀行が倒産したら、どうしよう?」など、今考えたところで、すぐには対応しようのないものもありますよね。自分で何とかできるものならば、できるだけのことをすれば良いわけですが、先に述べた『杞憂』のように、特に打つ手がないものに関していつまでもクヨクヨと思い悩ませる『思い煩い』は、まるで盗賊のように、私たちの『時間』や『精神力』を奪っていきます。 『思い煩い』というのは、大抵の場合「必要な物が手に入らないのではないか?」または「今持っている物をいつかは失ってしまうのでないか?」という不安のどちらかに基づいています。そしてこれらは2つとも「自分の人生に関わることは、すべて自分で何とかしなければならない」という人生観、すなわち「この世には神も仏もない」という人生観から生まれてきます。確かにもし神がおられないなら、あなたの人生で頼りになるのは、究極的にはあなただけですよね。 しかし、ここに良い知らせがあります。「神はおられる」のです!しかもこの神は、私たちの人生をただ黙って眺めておられる方ではなく、私たち1人1人を心に留め、「私たちのことを心配してくださる方」だと聖書ははっきり語っています。私たちには単なる『杞憂』でも、神にとっては「不可能なことは何もない」のです。神は、落ちてくる天さえも、支え、元通りにすることができるのです。この神に信頼することを学ぶとき、『思い煩い』ということばは、もはや私たちとは無縁の言葉となるのです。