聖書
(42) 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。
「天災は忘れた頃にやってくる」と言いますが、突然悪い知らせを聞かされたとしても、決して動揺して早まった行動に走らないようにしましょう。神はそのような時のためにこそ、私たちに理性と考える力を与えてくださっているのです。仮に直面している問題が、自分では到底抱えきれないものだとしても、パニックに陥ってはいけません。私たちの神はどんな問題にも間に合う方なのです。神は私たちにもできることに敢えて手を出そうとはなさいませんが、私たちもまた、神が解決すべき問題に敢えて手や口を出すべきではないのです。私たちは祈りの中で神にこう尋ねることができます。「主よ。あなたはこの問題を通して、私に何を知らせようとしておられるのですか?」 「神様は、私たちのお願い事を聞いてくださる存在である」と思っている人たちがあまりにも多くいます。神様は『気前の良いおじいちゃん』ではありません。神様が惹き付けられるのは、私たちの『お願い事』ではなく、私たちの彼に対する『信頼(信仰)』です。旧約聖書に登場する『ヒゼキヤ』という王様は、海辺の砂の数のような敵の大軍が攻め寄せてくるのを見て、ただちに神殿に走って行ってひれ伏し、「神よ。あなただけがこの大軍に相対することができます。」と、ただ神の力に頼り、そしてこの絶体絶命の危機から救い出されました。 もし私たちが心からこの神に信頼して生きるのなら、私たちに襲いかかってくる災いは、もはや「神のみわざが現れる機会」でしかないのです。「もはや神しか頼れるものはない!」とは、すなわち「最も頼りがいのある存在に対して目が開かれた!」ということなのです。聖書は、神が私たち信じる者に語られた約束に満ちています。それらを知り、またしっかりと握ってください。そして「神に信頼して生きる」ことの祝福を一緒に味わいましょう。