聖書
(37) 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。
私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。 ある女性が素敵な帽子をかぶっているのを見て、彼女の友人が言いました。「あら素敵!その帽子をかぶっていると10才は若く見えるわよ。」 するとその女性はガッカリしたようにその帽子を脱いで言いました。「それじゃあ、もうこの帽子をかぶるのはやめるわ。だって、この帽子を脱ぐ度に10才老けて見られるのはイヤだもの。」 私たちは何故「年をとること」を恐れるのでしょうか?力がなくなっていくから?必要とされなくなっていくから?それとも「死に近づくこと」を恐れるから? 西洋文化(主にキリスト教に根ざした文化ですが…)では、引退後の世代を「ゴールデン・エージ」と呼びます。何故ならそれまで忙しさの故に十分に時間を取れなかった「趣味」「旅行」「友人との語らい」そして「神を求める」ためにもっともっと時間を費やすことができるからです。(お孫さんががいるなら、彼らと遊ぶのもいいですね!) 一体私たちが何歳になったら「年寄り」と呼ばれるのでしょう?私たちは何歳になっても眠ります。ということは、相変わらず「夢を見る」ことができます。相変わらずあれこれと考えます。ということは、将来の計画を立てることができます。歩いたり話したりできるのなら、新しい友人を作ることもできます。私たちは人生のクライマックスの時間をみすみす無駄にする必要はありません。神様の前には『ジェネレーション・ギャップ』などというものは存在しないのです。私たちには、次の世代に伝えておくべき多くの知的・精神的・霊的な財産があります。彼らはこの難しい時代を生き抜くために、それらのモノを必要としているのです。 すべて生きている者で、神が必要としておられない者はありません。あなたが朝目覚めたなら、それは「今日も神があなたをこの世界に必要としておられる」というしるしです。ぜひ日々それが何であるのかを見つけてください。そしてあなたのあるったけのエネルギーをそこに注いでみてください。あなたがその力と愛を注ぐ対象を見つけていられる間は、あなたは決して「老いて」はいないのです。