神のみこころ

『神のみこころ』などと言うと何だか堅苦しく聞こえますが、どんな人でも「自分は何のために生まれてきたのか」ということを人生に1度は考えることがあるのではないでしょうか?それが証拠に、これだけ文明的に発達しても、相変わらず「手相」「タロット」「星占い」などに多額のお金をつぎ込む人々が後を絶えません。

聖書は『天地万物の創造主である神』の存在をはっきりと主張しています。そしてもし本当に唯一の神がこの全宇宙そして私たち人間を造られたなら、そこには必ず『崇高な目的』があるはずです。そう、そこには私たち1人1人に対する「神のみこころ」というものが存在し、神は私たちにそれを知らせたいと思っておられるのです。では私たち人間に対する『神のみこころ』とは一体どのようなものなのでしょう?

私たちは自分の人生のことを考える時、どうしても「何をして生きるか」ということを真っ先に考えがちです。しかし実際は「何をして生きるか」ということはそれほど重要ではなく、むしろ「どんな思いでそれをしているか」の方が重要なのです。すなわち、もしあなたが勉強や仕事、また人助けなどを「誰かに気に入られるため」「誰かに認められるため」にしているとしたら、たとえその行為自体は立派なことだとしても『神のみこころ』を行っているとは言えないかもしれません。採用試験の面接の時、また誰かとの初デートの時、私たちはついつい無理して「自分以上の何者か」になりすまそうとしますが、後にはドッと疲れが出るだけです。けれども、誰に強いられなくても、誰に認められなくても、またたとえ失敗したり、損をしたとしても、そのことをやっていると深い喜びと充実感がある、そんな何かをあなたが持っているとしたら、それは限りなく、あなたにとっての『神のみこころ』に近いものなのかもしれません。

素晴らしいことに、この『創造主なる神』は私たち1人1人のことを私たち自身よりもよくご存知です。それ故私たちはこの神の前で「無理な背伸び」をする必要がありません。気に入られるために「媚びる」必要もないのです。神は私たちの正直さ、ありのままを喜んでくださいます。そしてありのままの私たちが「無理せず喜んでできる何か」を見つけて、それに全力を尽くすこと、それが『神のみこころ』を行うということではないでしょうか?

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