今回は「説教あらすじ」はありません
メッセージ
2025年3月2日 「主にあって喜ぶ」
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「主にあって喜ぶ」 (02/03/2025) [ピリピ人への手紙3章1~11節] ◆『主にある喜び』を妨げるもの ・[2節]の「犬ども・悪い働き人・肉体だけの割礼の者」は同じ人々を指す。すなわち「信じるだけでは救われない。ある程度律法(特に『割礼』)を守ることが必要」と言う人たち。しかし「救いの条件」として『行い』を付け加える人たちは必ず「己れを誇ろう」とする。そこには『束の間の喜び』はあっても、神の国から来る『主にある喜び』を経験することは決してない。実際『割礼』は「救いの条件」ではなく、『神の民のしるし』として与えられた。今や『神の民のしるし』は、『割礼』ではなく、「己れに頼らず、キリストを誇る生き方」のことである。 ◆『主にある喜び』の源 ・パウロは自分の体験を通して、「律法を守ること」ではなく、『キリストを知ること』こそが「神に近づく唯一の道」であることを確信した。[ローマ10:4] また、キリストが死なれ「神の力によってよみがえられた」のは、単に「私たちの贖いのため」だけでなく、私たちも「自分に頼る」という己れが1度死ななければならないことを、身をもって示すためであったと知った。自我が生きている限りは、「肉の喜び」がいつも『主にある喜び』を見えなくさせている。 ・『主にあって喜ぶ』とは、「神がしてくださったこと(状況の変化)」を喜ぶのではなく、「神が私たちに施してくださっている『内なる変化』(日々増し加えられる神への愛と信頼)」を喜ぶことなのである。今日の要点: 『主にある喜び』を求め、また味わおう! ◎更に深い学びのために ①『割礼』にはどんな意味があるのですか? 今はどうして『割礼』は必要ないのでしょう? ②『主にある喜び』を妨げるものには、どんなものがありますか? どうしてそれらのものが妨げになるのですか? ③パウロの証しから学べることは何ですか? あなたも同様の事を体験を通して学んだことがありますか? Outline of the sermon “Rejoice in the Lord.” (02/03/2025) [Philippians 3:1~11] ◆What hinders us from rejoicing in the Lord? Read more…
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