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2025年3月9日 「私たちのレース」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「私たちのレース」    (09/03/2025) [ピリピ人への手紙3章12~16節] ◆キリスト者のレース(12~14節)  ・この世におけるレースは「賞を勝ち取るために参加する」のだが、私たちの『信仰のレース』は「私たちに賞を得させるために、神が参加させてくださる」もの。すなわち「神がキリストにあって『選んで』くださった」。[イザヤ43:1b]  ・このレースを完走するためには、過去のものは助けにならない。ひたすら「前に向かって」進む。 *神が私たちに与えようとしておられるものは、後ろには無い! ◆私たちのゴール(14節)  ・では、この「賞・目標(ゴール)」とは何なのか?それは『キリストご自身』。[Ⅰコリント13:12] 言い換えるなら、神は「救いにふさわしくない私たち」をキリストにあって選び、「救いにふさわしい者(キリストのかたち)」へと造り変える。  ・2歳児の徒競走では父兄がゴールに立つ。なぜなら幼子は「ゴールや賞品」には興味はなく、大好きな家族の許  へなら喜んで走って行くから。イエスは「幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない」とおっしゃっ  た。私たちも『主イエスご自身』を何よりも欲するのでなければ、このレースを心の底から楽しむことはできない。  ・私たちは「ゴールすることが決まっているレース」を走っている。しかしそのレースをより楽しく有意義なものとするために、更にこの『イエス・キリスト』というお方を知って行こう! 今日の要点: 一心に『キリスト』を目指す ◎更に深い学びのために  ①私たちの「信仰の歩み」と「レース」との共通点は何ですか? また「この世のレース」との相違点は何でしょう?  ②何故「神が私たちに与えようとしておられるもの」は、私たちの『後ろ』には無いのだと思いますか?  ③私たちのレースの終着点は何ですか? それは今のあなたにとって、どれくらい魅力がありますか? Outline of the sermon    “Our race of faith.”    (09/03/2025) [Philippians 3:12~16] ◆Our race.(Verses 12~14)  ・We participate in the race of this world to win the prize.  But for our […]

2025年3月2日 「主にあって喜ぶ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「主にあって喜ぶ」    (02/03/2025) [ピリピ人への手紙3章1~11節] ◆『主にある喜び』を妨げるもの  ・[2節]の「犬ども・悪い働き人・肉体だけの割礼の者」は同じ人々を指す。すなわち「信じるだけでは救われない。ある程度律法(特に『割礼』)を守ることが必要」と言う人たち。しかし「救いの条件」として『行い』を付け加える人たちは必ず「己れを誇ろう」とする。そこには『束の間の喜び』はあっても、神の国から来る『主にある喜び』を経験することは決してない。実際『割礼』は「救いの条件」ではなく、『神の民のしるし』として与えられた。今や『神の民のしるし』は、『割礼』ではなく、「己れに頼らず、キリストを誇る生き方」のことである。 ◆『主にある喜び』の源  ・パウロは自分の体験を通して、「律法を守ること」ではなく、『キリストを知ること』こそが「神に近づく唯一の道」であることを確信した。[ローマ10:4] また、キリストが死なれ「神の力によってよみがえられた」のは、単に「私たちの贖いのため」だけでなく、私たちも「自分に頼る」という己れが1度死ななければならないことを、身をもって示すためであったと知った。自我が生きている限りは、「肉の喜び」がいつも『主にある喜び』を見えなくさせている。  ・『主にあって喜ぶ』とは、「神がしてくださったこと(状況の変化)」を喜ぶのではなく、「神が私たちに施してくださっている『内なる変化』(日々増し加えられる神への愛と信頼)」を喜ぶことなのである。今日の要点: 『主にある喜び』を求め、また味わおう! ◎更に深い学びのために  ①『割礼』にはどんな意味があるのですか? 今はどうして『割礼』は必要ないのでしょう?  ②『主にある喜び』を妨げるものには、どんなものがありますか? どうしてそれらのものが妨げになるのですか?  ③パウロの証しから学べることは何ですか? あなたも同様の事を体験を通して学んだことがありますか? Outline of the sermon    “Rejoice in the Lord.”    (02/03/2025) [Philippians 3:1~11] ◆What hinders us from rejoicing in the Lord?  ・“Dogs, evildoers, those who mutilate the flesh”(Verse 2) all of these indicate same type of […]

2025年2月23日 「尊敬に値する人」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「尊敬に値する人」    (23/02/2025) [ピリピ人への手紙2章25~30節] ◆エパフロディトがしたこと  ・今日の箇所を見る限りでは、この『エパフロディト』という人物は元々ピリピ教会の中心的メンバーで、パウロのための支援物資(献金?)を教会から託されてパウロに届けたようだ。また「パウロの友・同労者」として仕え、  何らかの事情で重病になったらしい。 ◆エパフロディトの心の内にあったもの(26,29~30節)  ・パウロは「彼のような人たちを尊敬しなさい」と勧めている。パウロはエパフロディトのどのような点を「尊敬に値する」と評価したのだろうか? 単に「福音のために命を懸けたこと」であろうか?  ・ここで語られているエパフロディトの特筆すべき点の1つは「自分が病気になったことを知った人たちの事を心配している」ということ。彼は「福音宣教の働きが滞ってしまう」というようなこと以上に、ピリピ教会の『人々』のこと  を案じていた。このことから、彼が「働き」よりも『人』を心に掛けている人物だ、という事が読み取れる。  ・『福音宣教』というと、つい「働きそのもの」や「人が救われる」という出来事に目が行きやすい。しかし、福音宣教の中心は「神と人々に対する愛」である。『尊敬に値する人』、それは「偉業を成し遂げた人」ではなく、「神と人とを愛する人」。そしてこれこそが、私たちが目指すべき生き方そのものではないだろうか? 今日の要点: 「タスク」ではなく、『人』 ◎更に深い学びのために  ①今日の箇所から、「エパフロディト」という人物について分かることを、互いに分かち合いましょう?  ②『人々』よりも、「成すべきこと」の方が大切に感じてしまうのは、どんな時ですか?  ③あなたにとって『尊敬に値する人』とは、どんな人ですか? それはどうしてですか? Outline of the sermon    “‘Someone who can be honored.”    (23/02/2025) [Philippians 2:25~30] ◆Who is Epaphroditus?  ・Epaphroditus seems to be a member of the church in Philippi, entrusted a gift for Paul.  He […]

2025年2月16日 「Protostarsによる礼拝」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 『説教あらすじ』は、ありません。

2025年2月9日 「キリストにある一致」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「キリストにある一致」    (09/02/2025) [ピリピ人への手紙2章19~24節] ◆パウロとテモテ(リステラでの出会い,使徒16:1~3)  ・バルナバと別行動を取ることになったパウロは、『同労者』を切望していた。そんな時に出会ったのが『テモテ』。 テモテはパウロと共に宣教活動を初めてまもなく「マケドニアへの招き」を経験し、初めて足を踏み入れた地が、この『ピリピ』だった。ここで牢獄に入れられてしまったパウロのために、テモテはピリピの信者たちと必死の祈りをささげたに違いない。 ◆2人の信頼関係の基盤(20~22節)  ・パウロは「テモテは自分と『同じ心』で歩んでいる」と評している。これは何も「いつでも自分の味方をしてくれる」という意味ではなく、同じ『キリストの心』でということ。「1つとなること」は、「お互いを見つめること」によって起こるのではなく、「同じもの(同じ方)をいつも見つめていること」によって実現する。  ・JCFもそうだが、『教会』を構成するメンバーは1人1人が「ユニークで個性的な存在」である。それがどうやって『一致』できるのか?それは「同じことをすること」によってではなく、それぞれが自分自身の持ち味(賜物)を生かしつつ、それを「自分自身の益のため」ではなく、『神の喜び』という「共通の心」に押し出されて進んで行くことによってである。これこそが「キリストを表現しながら生きる」ということなのだ![Ⅱコリント5:14-15] 今日の要点: 「自分」ではなく、『キリスト』を取る ◎更に深い学びのために  ①パウロとテモテの出会いとは、どのようなものでしたか? 2人の宣教の旅路は簡単なものでしたか?  ②パウロはテモテのことを「どのような存在」と評価していますか?  ③私たちが「キリストのからだ」として、この2人のように『同じ心』で進んで行くために大切な要素は何ですか? Outline of the sermon    “‘Work out your salvation.”    (09/02/2025) [Philippians 2:19~24] ◆Paul and Timothy. (Acts16:1~3)  ・Paul was desiring someone who would be willing to work with him after separated from Barnabas.  Then he found Timothy […]

2025年2月2日 「高見澤栄子先生によるお話」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 『説教あらすじ』は、ありません。

2025年1月26日 「救いの達成」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「救いの達成」    (26/01/2025) [ピリピ人への手紙2章12~18節] ◆『救い』とは?(12~14節)  ・『救い』とは、単に「天国に行けること」ではない。「『神の子』としての本来の姿へと回復されること」である。また『永遠のいのち』とは単に「永遠に生きること」ではなく、「永遠に続く『神との健全な関係』」のこと。このお方と日々交わりを保つ中で、神は私たち1人1人に『ユニークな志』を立てさせ、ご自分のみこころを成就なさる。  ・すなわち、ここで言われている「救いを達成する」とは、御子イエスが地上においていつも「神と共に歩まれた」ように、私たちも「共に歩んでくださる主イエスを見つめながら人生を全う」する、ということなのだ。[ヨハネ5:17] ◆救いの目的(15~16節)  ・パウロはここで「救いの達成を目指して生きる人の人生にはどんなことが起こるか」についても述べている。それは、「傷のない神の子どもとなり、世の光として輝く」こと。これは正に『御子キリスト』の歩み。すなわちパウロは、私たちキリスト者はこの地上で「キリストが御父の栄光を現しながら歩まれたように、私たちも御子イエスの栄光を現しながら、世にキリストを証しする存在とされて行く」と言っているのである。  ・[17~18節] パウロは自分が関わる全ての教会(クリスチャン)を通してこのことが実現するのを見ることに『至上の喜び』を感じていた。私たちも『同じ喜び』を共有しつつ、それぞれの「救いの達成」を目指して前進し続けよう! 今日の要点: 互いの間で行われる『神のみわざ』を、じっと見る ◎更に深い学びのために  ①12節でパウロが言っている、「自分の救いを達成する」とは、どういう意味でしょう?  ②私たち『キリスト者』は、この地上において、どのような存在ですか?  ③「パウロの喜び」とはどのようなものでしたか? この喜びをJCFでも共有するためにどんなことができますか? Outline of the sermon    “‘Work out your salvation.”    (26/01/2025) [Philippians 2:12~18] ◆What does “Salvation” really mean?(Verses12~14)  ・It is not just “a ticket to heaven”.  It is “Restoration into original feature as ‘a child of […]

2025年1月12日 「神の御手を体験するため」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「神の御手を体験するために」    (12/01/2025) [ピリピ人への手紙2章5~11節] ◆神によって高く上げられる(9~11節)  ・キリストが人となって地上で成し遂げられたことの故に、神はキリストに『すべてにまさる名[主]』をお与えになった。そして私たちが「イエスは主です」という時、それは父なる神に対し、「あなたは最期まであなたに従順に歩ま  れたキリストを『主』とされた、必ず約束を守る誠実なお方です」と、その栄光を讃えることになる。  ・神はキリストのみならず、ご自身の前に身を低くし従う時、私たちをも時に適って高く上げてくださると約束された。[Ⅰペテロ5:5-6] では、「神の前にへりくだる」とは、どういうことなのだろう? ◆「神の下にへりくだる」とは?(5~8節,「キリストにある『この思い』を抱く」)  ・キリストは「神と等しい」という自分の『あり方』を「捨てられない」とは考えず、「神としてのすべての特権」を放棄された。最初のアダムは「神のようになろう」としたために、人としての『本来あるべき姿』さえ失ったが、最後のアダム(キリスト)は、神である方なのに、敢えて「人となられた」ために、神に高く上げられた。  ・「自分を捨てる」とは、単なる『自己犠牲』ではなく、キリストの模範に従い「全く異質の相手をも尊重し、その必要に仕える」ということ。[ルカ9:23] このように御父の願いを全うすることがキリストの喜びだった。[へブル12:2]  ・『自己実現』ではなく「神に与えられた道をひたすら走り切ること」、それが真の満足をもたらす。[Ⅱテモテ4:6-8] 今日の要点: 分かったことに従い通す ◎更に深い学びのために  ①なぜ「イエスは主です」と告白することが、父なる神に栄光を帰することになるのでしょう?  ②「自分のあり方を捨てられないとは考えない」とは、あなたにとってどんなことを意味しますか?  ③「イエスの前に置かれていた喜び」とは何でしたか? それは「あなたにとっての喜び」とどう異なりますか? Outline of the sermon   “‘To experience mighty hand of God.”   (12/01/2025) [Philippians 2:5~11] ◆Be exalted by God. (Verses 9~11)  ・Jesus was exalted and given the name above all names because of […]

2025年1月5日 「本来あるべき姿へ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「本来あるべき姿へ」    (05/01/2024) [ピリピ人への手紙2章1~4節] ◆キリストに似た者とされていく  ・キリストによって与えられる救いは、「天国へ行くため」ではなく、『神との交わりの回復』のため。それ故「キリストにある救い」を得ていながら、神との交わりを持とうとしないのは「宝の持ち腐れ」と言える。  ・『神との交わり』によってもたらされるのは「人間の『本来あるべき姿』への回復」である。イエス・キリストこそが私たち人間の『完全形』。イエスは度々「わたしがOOしたように…」と教えたが、それは「猿マネする」ということではなく、「キリストによるOOを体験した人だけが、それを実践できるようになる」ということ。それ故『神との交わり』は必須。 ◆どのように変えられて行くのか?  ・聖霊によって日々『神との交わり』に身を置きながら歩む時、私たちの内に「キリストの心」が形造られていき、それを『神の家族』と共有して行く時に、私たちは『キリストのからだ』として共に建て上げられていく。[エペソ4:13] ・このように「教会を通してキリストが現されている」のを見ることで、パウロは『神の喜び』を体験した。[2節] そして私たちが『キリストのからだ』として更に成熟して行くなら、やがて『この世』も私たちを通して『キリスト』を見るようになる。 今日の要点: 共に「キリストにあって」『本来の姿』を取り戻そう! ◎更に深い学びのために  ①「キリストにある救い」は、何のためですか? また、何故そう言えるのでしょうか?  ②『神との交わり』は、私たちの人生にどのようなものをもたらしますか?  ③『この世』は、私たちが言葉で宣教する以外に、どのような方法を通して「キリストを知ること」ができるでしょう? Outline of the sermon   “‘Return to our ‘original feature’.”   (05/01/2024) [Philippians 2:1~4] ◆Being transformed into “Christlikeness”.  ・God saved us in Christ not just “to take us to heaven” but more for “restoring His relationship […]

2024年12月29日 「年末特別礼拝」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 『説教あらすじ』は、ありません。

2 Comments

Bryan Johnson · 2020-06-06 at 9:56 pm

I am the author of a booklet titled ‘Answers to New Christians Questions’. We are nearly ready to produce a Japanese version of the booklet translated by Japanese Masters graduate whom I worked with between 2004 and 2010 in Auckland who now lives back in Japan. I would like to send you a copy of the booklet and see if your would become a distributor of the booklet and use it in your ministry. Please contact me on 027 276 6900 or by email.

野口武 · 2021-06-20 at 5:18 pm

峰町キリスト教会の野口です。ご無沙汰しています。渋沢先生のホームページを見つけました。

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